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7、7 ...
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紫陽花祭りは2週間続いた。
葵の仕事は仕入れや出庫を管理する倉庫係りで、普段は事務所の奥でパソコンの台帳と伝票を照合し、日々出し入れの間違いがないかを倉庫で最終確認をする。書き間違いや入力ミスが生じた時には、原因を出荷元や配送先を追いかけ全ての帳尻を合わせるのが仕事だった。入社1年目は必ずこの仕事をさせられる。商品を覚えたり、流通の特徴をつかむためだと云われた。葵は黙々と日々の仕事をこなし、仕事を覚えていった。
ただ紫陽花祭りの間は違った。会社の軒先にワゴンを出し、普段は小売をしない商品を売り出す。他の店がやるような大声で客を呼び込むなどできないものの、葵のいでたちが目をひいてか、年配の女性には大変好評で、準備した商品はあっという間に初日は売り切れた。それに気を良くした会社は葵に毎日の店番を仕事として課した。葵は店先に出るのであればと思い、母に浴衣を送ってくれるように電話をした。が翌日母は和装一式を友達の車に積んで現れた。帯や道具類まで含めると大きなスーツケースも直ぐ一杯になる。
葵は母が実家から持ってきてくれた浴衣を毎日新たなコーディネイトで工夫しながら身に着け出社した。自分の3枚のほか母から2枚を借りた。高価すぎる絽の和服はさすがに着こなせないので、母に返したが、そのほかは有難く借りた。帯や襟の合わせを整え、髪を結い上げた葵は日々社内での評判も上がった。そして、店先での評判を聞いてか、最終日の日曜日は地元のリピート客も舞い込み、今までにない売上を記録し、葵は社長賞を貰うことになった。
葵が受け取った目録には3万円と会社の商品10万円分が購入できる社員用チケットが含まれていた。破格の手当てだった。
直ぐに、そのチケットで母に今年流行の日傘と、バッグと草履のセットを購入した。残った分で、前から欲しかった縮緬の鮮やかな色合いの半襟を揃え、ボーナスが出たら買おうと思っていた高価な細工の根付をいくつか買い揃えた。
紫陽花祭りの初日はとんでもないことに見舞われたが、そのあとは1人夜出歩くことはしなかったので、宗聖に出会うことはなかった。その代わりに昼の休憩で紫陽花祭りの路地に出かけたとき、葵は悟に呼び止められた。
「葵チャン」
葵はちゃん付けで呼ばれるような知り合いがいないため、自分のことかどうか戸惑いながら声のほうに振り仰いだ。左後ろ、路地の所々に置かれているベンチに悟がいた。ニコニコ微笑んでおいでおいでをしている悟に葵は警戒心を解いて近づいた。
「あの、、、こんにちは。」
「やあ、見違えたよ。それ似合うね。正面から歩いてきたのに最初は全然気付かなかったもんね。これじゃあ客商売もまだまだだな。」
「あの正面からって、、、それでは、、、」
葵は、正面からみて気付かなかったのに、なぜ通りすぎてから声をかけられたのか、と聞こうとしたが、ドギマギしてきちんと聞けない。
昼の仕事であろうが、夜の仕事であろうが、こんな風に気易く葵に話しかける男性はいない。もちろん高校生の頃も今も、葵が大人しくて滅多に人と会話をしないからだった。職場では必要なことは話しても、それ以上でも以下でもない会話しかしない。
「うん、そうだよね。最初はウソとか思ったけど、葵チャンてさ後姿の印象がすごく強くて。通りすぎた瞬間にわかった。きれいな立ち姿してるよね。」
葵は初めて言われたその一言に赤面した。薄く施した化粧では隠せないほど顔を赤らめている。
「そんな、、、」
悟はその赤面振りも納得しながらニコニコと話しかける。
「仕事この辺?」
「えっ、あっ、はい。この隣の路地の小町通りです。今休憩時間で、、、」
「そっか、大事な休憩時間をつぶさせてる?」
「いえ、直ぐ側にいるのに紫陽花をゆっくり見る時間がないので、ちょっとゆっくり眺めようと思って来ましたから平気です。」
「仕事終わってからでもゆっくり見られるじゃない?お祭りの間は11時位までライトアップしてるんでしょう?もちろん僕は夜きたことないからわからないけど。」
「ええ、でも、夜はあまり・・・」
葵はたった数日前に怖い目に会ったばかりだ。もちろん怖かったのは最初だけで、後半は遊びなれた男に翻弄されただけだった。前回と同様にタクシーで送られ、あの夜は1人降ろされると宗聖はそのままタクシーで去った。
葵の声が小さくなったので、悟は何かを察知した。
それを気付かない振りをして優しく葵に話しかける。
「また店においでよ。お酒は絶対すすめないから大丈夫だよ。うちのオーナーはその辺きびしいからさ。未成年とわかっていてお酒飲ませたら即首なんだ。」
「あの、そう云っていただけるのは有難いのですけど、私、苦手なので、、、。」
「そうだよね。誘っておきながら僕もそう思った。でもさ、こういう偶然でもなけりゃもう葵チャンにあえないじゃん?僕は夕方から仕事だし終わるのは夜の12時だし。うーん・・・。」
勝手に悩んでいる悟を葵は戸惑いながら見ていた。
なぜ、この人は私と会うことを真面目に考えているのだろう。あの人から何かを云われたのだろうか? それ以外に葵が誰かの気をひくことなどありえない。ましてや昼の光の下で改めて見る悟は充分カッコいい。ジャニーズ系とでも云うのだろうか?夜の街にしっくりと馴染んでいた様子からも20歳といえど随分大人びて見える。そんな悟が目立たない葵に目を向けるはずなどない。葵は先ほど思いがけず誉められたことで舞い上がっていたようだ。こういう人が私を気にかけるはずがない。
「あの、私、仕事がありますからこれで戻ります。」
葵は急に立ち上がると悟にきちんと礼をすることだけは忘れずに、急いで立ち去った。
その後ろ姿を見送りながら、悟は「フム」ともらしただけだった。
その夜、遅くに店に入ったオーナーに悟が声をかける。
「今日葵チャンに会いましたよ。」
「ん?あ?誰?」
「葵チャン、あの浅黄の封筒の葵チャンです。」
「来たのか?」
「まさか、夕方店来る前に紫陽花祭りの通りを抜けてきたんです。そこでバッタリ。きれいな和装でしたよ。日傘なんかさして、ああいう格好してると本物のお嬢っぽいですね。」
「そうか。」宗聖の返事はそれだけだった。
「あれ、宗聖さん、葵チャンの和服姿見たことあるんだ?」
カンの鋭い奴だ。
「ああ、祭り初日に見かけた。」
悟はその言葉に潜む何かがあるのを感じ取っていたが、これ以上は危険だと思ってその話題をやめた。
「ふーん。じゃまあそういうことで、それから今夜12時過ぎに海藤さんって人が来ます。丁寧に予約を入れてきましたよ。10人くらいだそうです。」
宗聖は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をした。これは悟には未だ話していない。話しておくべきことかどうかもわからない。
「そうか、では今日は12時までだ。12時になったら全ての客を帰してくれ。夜中のパーティーが入っているとでも云ってくれ。」
「わかりました。」
悟は何も聞かずそう答えると、表に出て行った。
海藤と名乗ったからには、くるのは兄だ。実兄の西野秋芳(しゅうほう)は海藤に養子に入り、海藤家を継いでいる。正確には熱海の裏家業を担っている海藤組の組組織を継いでいる。平たく言えばやくざだ。表看板は不動産業であり、飲食業で、スナックやカラオケ店、みやげ物店をいくつも経営している。
ただその立場に立つのは宗聖でもおかしくない状況に一時期あった。西野の家にも継ぐべき何がしかがある。長男に継がせるのが筋というものだ。そうなると海藤を担うのは宗聖のほうだったのかも知れない。だがそれを止めたのは父ではなく兄本人だった。兄は病身の母を諭し、西野の財産を全て宗聖に残すよう話をつけると、海藤に養子に入った。やくざ家業などお前はしなくていい、と云いきった兄の醒めた決意に背を流れ落ちる冷たいものを感じた。宗聖以上にきつい目の表情は、美形なだけに凄みがあった。そして今、温泉地、保養地として廃れ始めた熱海の町で、兄は何かを着々と進めていた。
年に数回、兄は弟の顔を見に来る。宗聖が熱海に来ることを望まなかったからだ。