晋江文学城
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4、4 翌週明け、 ...

  •   翌週明け、葵は助けられ家まで送ってくれた男の名前を聞かなかったことに気付いた。
      店の場所と名前は覚えている。
      夜そこに行くべきだろうか?何しに?・・・お礼をしに・・・でもお礼ならしたわ、いえされたのかも。2度の軽いキスは、葵の記憶の中で考えないことにしようという箱の中にしまわれてしまっていた。わざとそこを避け、お礼をすべきかどうかを延々と考え続けた。

      3日後、意を決して葵はあの店に行った。夕方6時。仕事帰りのビジネスマンらがたくさん歩いている。これからみんな一杯飲んで楽しんだり愚痴を云ったりするのだろうか?
      葵は覚えのある路地を曲がり、最初のビルで地下1階の店の看板が点いているのを確かめた。「Solitude」・・・孤独?

      ドアを開けると先日の記憶とは異なり店内は明るかった。カウンターに若い男性が一人いる。カウンター奥から人の声が聞えるので、厨房になっているのだろう。
      「いらっしゃい。」 カウンターの男性がニッコリと微笑んで葵を迎える。
      「あの、すみません。私お客ではないです。」
      「そう? でもせっかくの一番のりだからここに座って。」
      葵はおずおずと入り口に一番近いカウンター席に近づいた。座るのはためらわれた。
      「あの・・・私・・・」
      「もしかして未成年? だよね。そっかじゃあウーロン茶でいい? これは僕の常備品だからサービスね。一番目がきれいな女性の場合はサービスすることに決めているんだ。」

      バーテンの男性はどうみても20代前半。葵とそんなに離れているようには見えない。
      きれいな女性と云われたのも初めてなら、男性にこんな風に親しげに声をかけられたのも初めてだった。これが夜の世界?葵は不思議と冷静になれた。差し出されたフルートグラスのウーロン茶を、まじまじと見ながら何だか気負って、覚悟してここまで来たのが拍子抜けてしまった。それでもすべきことをしなければ・・・。

      「あのこちらに、背の高い髪の長い男の人がいると思うのですけど・・・」
      「ああ、きみも宗聖さんのファン?」
      「しゅう・・せい・・さん?」
      「そっ、ここのオーナー。宗聖さんは夜遅くならないとここには入らないよ。そうだな10時過ぎかな?」
      「そんなに遅いんですか?」

      夜10時を「そんなに遅い」と云って驚き、少し暗い顔になった女性を、悟は面白いものでも見るように改めて見た。

      ここには3ヶ月前20歳になったことを確かめられた上で入っている。オーナーの西野宗聖は、今時珍しくその辺にはうるさい。だから未成年だと思える客には酒を出すな、とまで云われた。時々ひねた子供が来るには来るが、身分証の提示を求めるとさんざん悪態ついて帰っていく。時々グラスやボトルがいくらか破損することもあるが、宗聖のその信念はこの界隈では有名で、迷い込む子供以外にはまずそんなことには至らなかった。

      悟が今目の前にしている女性は、夜遊び好きなタイプの女性でもないのに何故宗聖に会いに来たのか今ひとつ掴めなかった。

      「連絡してみる?携帯持っているから電話すればつかまるかもよ。」

      悟は滅多にそんなことは云わない。宗聖目当てに店に来る女性は、ことごとく軽くあしらったり、おだてたりしてさんざん酒を飲ませ、心地よくして返すように心がけている。もちろんきちんとお代も頂く。中には悟のファンになる女性もいる。
      宗聖は悟のその腕を見込んで早番のカウンターを任せている。カウンターに入るには、何よりも客あしらいの技量が求められるため、時給いくらのバイト君では成り立たない。スナックというか夜のバーでは必須条件となる。

      「いえ、そこまでしていただかなくても結構です。」
      葵は悟の真意などわかりようもないが、わざわざ呼び出すのはいくらなんでも失礼だと思って断わった。
      「そう?じゃあ何か言づてでも?口で云うのがなんだったらこれに書いてくれれば渡してあげるよ。」
      悟は、この大人しそうな女性の遠慮する言葉遣いに笑いをかみ殺しながら、メモ用紙とペンをカウンターに滑らせた。

      葵はその紙とペンをしばし見つめてから、思い出したようにバッグをあけ、浅黄色の封筒を取り出す。
      そしてメモに丁寧に何かを書くと持ってきた封筒に折りたたんで入れ、封をたたんだだけで悟に渡した。

      「あの、これをその、しゅうせいさんにお渡しいただけますか?」
      悟はまたしても葵の言葉遣いに苦笑した。一体どこのお嬢だよ。と思いつつもいたずらっ子みたいな微笑を見せて葵から封筒をうけとる。
      「いいの?封をしなくて。僕に見られるかもよ。」
      「あら、そんな・・・」
      悟の言葉は葵には思いもしなかった言葉だったようだ。人を疑うってことを知らないのかな。大丈夫かよこのお嬢は。
      「なんてね。大丈夫だよ。ちゃんと渡してあげるよ。でもこれって誰からって云えばいいのかな。名前書いてないみたいだけど。」
      悟は封筒の裏を見て、何も書かれていないのを確かめた。

      「あの、ごめんなさい。直接お渡しできると思っていたものだから。名前書きます。」
      「いや、いいよ。書かない方がいい。でも僕に教えて。僕は悟。20歳。君は?」
      「私・・・山下葵、です。」
      「あおい、あの花の名前? もしかして光源氏の、葵の上の葵?」

      葵はその名前が引き合いに出されるのが一番苦手だった。物語の人物であるにも関わらず、日本中の誰もが知っている。美人で才女で、当代きってのプレイボーイ光源氏の正妻。
      そういわれると、平凡でつまらない自分が比較されているようで自己嫌悪に陥る。高校生の時には葵の上ではなく橘の君と間違ったのではないかと云われたこともある。
      どんなに大人しい少女でも、同級生達の軽口は止められない。それでもそんな揶揄は葵の性格を知り尽くしている友達がかばってくれて、すぐ消えた。それでも恥ずかしくて身の置き所がなかったことを覚えている。

      「はい、その葵、です。」
      葵は小さく答えた。
      「わかった。宗聖さんには葵ちゃんが会いに来たとちゃんと伝えてこれ渡すから安心して。」
      「はい、お願いします。」
      そのとき、数人のグループが店に入ってきたので、葵は席を立った。
      「それでは失礼します。」
      きちんと頭を下げて礼をし、店を出ていく葵を悟は苦笑しながら見送った。一体宗聖さんはあの子をどこで見つけたんだろう?

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