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3、3 ...
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「大丈夫か?立てるか?」
葵は自分の置かれた立場が怖くて言葉が出せなかった。どうしても強い否定で男を押しのけることが出来ず、このままどこかに連れて行かれるという恐怖でパニックになっていた。
「私・・・・」
葵は泣き出してしまった。どうしよう、こんなところで泣いてなんかいられないのに。
目の前にかがんだ男にハンカチを渡され、涙を拭う。
「泣いている場合じゃないだろう。あんた、自分のことぐらいしっかり守れよ。嫌だったんだろう?それともお楽しみの邪魔したか?」
「そ・・・んな」
葵は何を云われたのかとっさに判断できない。それでも非難されたことはわかった。
「ひどい・・・」
怖かったのに、ぶつけられる言葉は辛らつだ。
「そうか?でもさ、あんた云いたいこときちんと云わないで、いい子ぶってるからあんな風につけこまれるんだよ。」
「わたし、そんな・・・」
こんな酷いこと云われるなんて、この人は助けてくれたのではなかったの?
もしかしてこの人も? そう考えた時、そのことが葵の顔に出たのだと思う。
一瞬おびえた顔になり肩を抱くように萎縮した葵をみて、宗聖はため息と共に立ち上がった。
「ほら立て。助けてやったのに怯えられたんじゃ、たまんねえや。タクシー拾えるところまでついていってやるから。」
葵は両手を腰にあてて見下ろしている黒服の男を、恐々と見上げ立ち上がろうとした。
立てなかった。
「あの・・・」
「どうした?」
「ごめんなさい。立てないみたいで・・・」
長身の男は諦めたようにため息をついた。
「まさか腰が抜けた、とか云うんじゃないだろうな。一体どこのお嬢様だよ、今時・・・」
そうぶつぶつ云いながら葵は両手で掬い上げるように男に抱き上げられた。足に力が入らない。
「立てるか?」
「何とか立てます。」
「いいか、送ってやるから、住所を云え。せっかく助けてやったのに、またその辺で変なのにつかまったんでは元も子もない。」
そういうと葵は大通りでタクシーに乗せられ、直ぐに横に大きな男が乗り込んだ。男が運転手に住所を告げている。
葵は結局階段を上がるのがやっとで部屋の前まで宗聖に連れて行かれた。
「あの、すみません。ありがとうございます。あの・・・」
葵はどこかで怯えながら、囁くようにお礼を云った。きちんとお礼をいわなければと思うのに、目の前の男が怖い。先ほどまでの上司の怖さとは違う。あまりにも男っぽいタイプで、葵の周辺には存在しないタイプ。職場も取り扱う内容のせいか、いたって大人しいタイプしかいない。そんな存在感たっぷりの男と言葉を交わしたことがないので、戸惑ってもいた。
宗聖は逆に面白がっていた。さっきまでは憮然としていた。タクシーの運転手には変な目で見られるし、助けてやった当の本人には怖がられるし、人助けなんて柄にないことをした自分をあざけっていた。が、タクシーをおりてから、部屋の前にたどり着くまでの間に、改めて葵の雰囲気を楽しんでいる自分がいた。
少々野暮ったいが、確かに中年受けするタイプだな。スタイルもいい。抱きかかえてタクシーの乗り降りをしたのだから、葵の体に余分な脂肪がないのは直ぐにわかった。かといって硬い体でもない。今は萎縮してしまっているから姿の良さは目につかないが、きっと着飾ればいい女になるだろう。幼さがとれればもっと、などと云う不埒な想像をしていた。
「礼ならこれでいい。」
そういうと宗聖は葵の唇にキスをした。
葵は驚いて背筋が伸びる。
「・・・な」
一瞬触れた目の前の唇を葵は見た。男の唇はやや厚みがあって皮肉っぽくゆがませている。そのまま視線を上に向けると葵は初めて男の顔を直視した。鼻が少し曲がっている?陽に焼けている?夜のお仕事でも日焼けする機会があるのかしら?目は、きつくて怖い。髪が長い。後ろに撫で付けてある。煙草の香りとコロンらしき香りが混じって漂っている。いかにも夜の街で働いていますといういでたちのままで、葵の世界の住人ではない。
背は高いほうだろうか?やや細身のタイプ。着流しが似合うタイプかも。
そこまで一瞬にして考えながら初めて目と目を合わせた。目が意地悪く笑っている。
「今のは助けてあげたお礼。そしてこれは・・」
そういうと男はもう一度葵にキスをした。
「送ってあげたお礼だ。」
そういって勝手に葵からお礼と称してキスを奪うと、部屋に入れと命令した。
葵は云われるままドアを開け、中に入る。ドアは男の手で外から閉められた。廊下を遠ざかっていく足音が聞える。葵は改めて玄関にヘナヘナと崩れ落ちた。
ただ大人しく生きてきた18年の間、怖いとか恐怖を感じるような境遇に至ったことがない。ましてや男性から注目されることなんてありえなった。
同級生ともろくに会話したことがないのに。まるで今夜一晩でいきなり大人の世界に放り出されたような孤独感を味わうことになってしまった。
上司はきっと何も云わないだろう。云えば自分にも傷がつくことをしっている。保身が第一のはず。では葵は、自分自身は?私も何も云わない、いいえ云えるわけがない。嫌だとも云ってない、きちんと断わっていないのだから。あの男が云ったように、自分で自分を守らなかったもの。
「いい子ぶって」と云われたのも「お楽しみの邪魔したか」と云われたのも、全部自分の責任なのだわ。もう社会人なのだから、きちんと伝えなければいけない。こんなことではいけない。もっとしっかりしなきゃ。
葵は厳しい社会の洗礼をたった一晩、しかもほんの数時間で、セクハラ上司と夜の街に生きる男の両方から受けた。
もっとしっかりしなきゃ、、、その週末葵はそのことだけを繰り返し云い聞かせていた。
ほとんどの週末実家に戻っていたが、その週末葵は実家に帰らなかった。土曜日の昼に母に電話をし帰らないことを詫びた。
母は「やっと親といるより楽しめる友達が出来たのね。」と葵に都合のよい思い違いをしてくれた。
「いくら近いからといって毎週末帰ってくることはない。まとまった連休の時だけでいいのよ。」とも云ってくれた。子離れが早いのか、親離れができていないのか、葵はその母の言葉に半分戸惑いながらうなずいた。