晋江文学城
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2、2 葵は高校卒 ...

  •   葵は高校卒業後、鎌倉にある和装小物を扱う卸問屋に就職した。静岡との県境にある生まれ育った町は就職と同時に離れた。鎌倉市内に借りたアパートは3階建てで、1、2階は家族向けのメゾネットタイプで2家族が入居しており、3階は一人用の部屋が3つある。葵が住む部屋は3階の一番奥で、手前2部屋には30代の女性と20代後半の女性がそれぞれ住んでいる。

      紫陽花祭りの間、出勤するものは全員浴衣でという決まりで、葵は雨模様を縦じまにアレンジした薄青の浴衣に半襟を薄紫にした襦袢と、帯は茄子紺に紫陽花の葉と花が銀糸で描かれたデザインを選び、下駄の鼻緒には紫の絞りをつけていた。
      母の見立てで揃えた昭和初期のリサイクル品だが、古風な顔立ちの葵にはよく似合う。社内でも評判だった。中には出社してから着付けをしてもらう社員もおり、葵は着付けの手伝いをしながら、帯締めや足袋をアレンジして一人は現代風に、一人は旅館のおかみさん風に仕上げた。いつもつつましく大人しい葵の新たな一面に今まであまり言葉を交わしたことがない先輩社員とも会話が出来、うれしい日だった。
      仕事を終えた葵は同僚と紫陽花祭りを楽しんでから帰ろうということにし出かけたが、同僚がボーイフレンドからの電話で帰ってしまうと、そのまま大勢の人でにぎわう路地を散策して歩いていた。そのときに、あの男に路地に連れ込まれた。

      たった一度しか会ったことのない男、西野宗聖。そこの店ではしゅうせいと呼ばれていた。

      5月の中旬、新入社員歓迎会と称した飲み会に連れて行かれた葵は、未成年だからとお酒を断わって付き合っていた。が3次会にまで連れて行かれたスナックは充分あやしくて、帰りたいのを我慢しながら盛り上がっている人たちを只眺めていた。
      葵は美人ではないし、かわいいという部類でもない。只ひたすら大人しいだけの18歳の大人になりきれない少女だった。周りがお化粧や男の子達に夢中になっているときも、ただ黙々と本を読んでいるような目立たない存在。

      母親が趣味で始めたお茶とお花にいつしか引き寄せられ、共に教室に通った。お教室に集まるのは年配の女性だけだったので、葵は更に口数の少ない少女になってしまった。和服の着付けは高校生の時に母から教えられた。お教室に行くときは必ず和服で行くことにしていたので、月1回のために和服や帯を揃えるのが大変だとこぼしながら娘の和服を見立て繕うのは母のまた別の趣味のようだった。リサイクルショップで古い和服を見つけてきては葵のために仕立て直し、大正時代や、昭和初期の着物をアレンジし、あれこれとコーディネイトしてくれた。

      そんな環境から、今の会社に就職が決まった。母が好んで利用していた着物のリサイクルショップのオーナーと仲良くなったことで就職先を紹介してもらえたのだ。
      短大まで出したいという親の気持はありがたかったが、そんなに裕福ではない家庭の事情を見れば、あまり望ましいことではない。
      その分を2年後に大学に進学する弟に使って欲しいといって就職した。

      そしてその新入社員歓迎会の3次会の店で、葵は酔った上司に絡まれたところを西野に助けてもらった。その上司は外商部門の課長で滅多に会社には出社しない。殆ど関西を拠点に動いており、月に数回本社にくるだけで、葵が会話したのはその夜が初めてだった。
      葵に無理やりお酒を飲ませようとしたり、カウンター席で体を押し付けてくるその態度に困っている様子の葵を宗聖は見ていた。

      最初は馬鹿なOLが上司との火遊びをしようとしている、としか見ていなかった。だがよくよく見れば、女のほうはかなり若い、メイクの仕方もろくに知らないような垢抜けないタイプだ。着ているものもハッキリいって似合っていない。火遊びするタイプには見えない。
      「あの、課長、すみませんが私帰りたいのですけど。もうバスもありませんし、遅いですから・・・。」
      「何?バスがない?大丈夫、僕が送ってあげるから。まだいいじゃないか?」
      酔っ払いの上司はいかにもセクハラで云いそうな台詞をはく。課長と呼ばれたその男は、ネクタイとポケットチーフを揃える程度には身なりを整えていたが、薬指に指輪の跡をハッキリ残しながら遊ぶ、中年の欲望がすっかり見えていた。

      女性は困りながらも帰るタイミングをグズグズと損なっている。
      ハッキリと断わって帰るほどには根性がないらしい。自宅勤務でもないということだな。妻帯者である上司が送っていくと云い切れる環境に住いがある、そこまで宗聖は考えながら、店の中で目に余るようなことを云ったりしたりするようなら帰ってもらおうと思いつつ、新たに入ってくる遅い客を相手に水割りを作り続けた。

      女性が席を立った。視界の隅で、云い寄られていた女性が化粧室に入るのを見届けた。宗聖はその後ろ姿に一瞬見惚れた。歩き方がキレイだ。入ってきたときを見ていないので、座っている姿しか見ていない。長い黒髪が背中の中ほどまである。センスのよい服を着ているわけでも、スタイルを引き立てた洋服でもない。ただ立ち姿、特に後姿に色気のあるタイプ。こういう女性は稀にいる。気負わない姿勢のよさが、気品ある立ち姿を作る。まだ若い。これから先が楽しみなタイプだな、と一人満足していたそのとき、その女性のグラス――中身はウーロン茶――に上司の男がウイスキーを入れるのを見た。酔わせる気か?

      案の定、化粧室から出た女性は席には座らず、帰りますと弱々しく告げているが、みんなもう帰るから、これだけ飲んでしまいなさい、などと上司が優しそうに話しかけている。その言葉にホッとしたような顔をしてその女性は軽くスツールに腰掛け、グラスを口元に運んだ。一口飲んで、「うっ」と呻くとグラスをカウンターに戻した、信じられないような顔をしてグラスを見、そして上司の顔を見る。
      「課長、これ・・・」
      「まあいいじゃないか最後の一口くらい付き合ってくれても、ちょっとしかいれてないし。」
      その女性は青ざめていた。
      おいおい一口も飲んでいないじゃないか、もう気持が悪いとか云い出すなよ、と宗聖は事の顛末を見ながら内心ツッコミを入れていた。
      だが、その通りになった。
      その女性はハンカチを口に当て、バッグを持つとそのまま外に飛び出した。帰り支度を始めていた会社の仲間数人が何事かと見ている間に上司が数枚の札を一人に預け、外に出た。

      宗聖、どうする?助けるか?放っておくか?
      グラスを磨きながら一瞬考えたが、これはこのままにするには後味が悪いと気付いて裏口から外に出た。
      気持悪そうにしている女性を上司が抱きかかえるように何かを話しかけている。が、進む方向はタクシーが拾える通りではなく、飲み屋街の奥へと向かっていた。行き着く先はホテル。

      しょうがないな、そう思ったときには女性の名を呼んでいた。
      「あおい、大丈夫か?」

      その声に振り向いたのはさかりのついた上司の方だった。葵は青ざめた顔をして具合悪そうにしているだけだった。名前を呼ばれたことに気付いたものの宗聖のほうを見てはいなかった。
      あおいという名前は店を飛び出した彼女に誰かが声をかけたのを聞いていた。

      「お前は誰だ?」
      「その子の友達。困るんだよね、こういうことされちゃうとさ。あおいを返してくれないかな?」
      見るからに夜の街に生息する黒服の長身の宗聖をいぶかしげに見る男に、宗聖はたたみかけた。
      「セクハラで訴えられるよ。その子が云わなくても、僕がお宅の会社に云うからね。」
      「何だと、お前には関係ないだろう?こっちは同意の上だ。」
      「それなら、尚更だ。あんたさ結婚してるんだろ?奥さんは知ってるのかな?出張のたびに指輪を外して遊んでいるなんてさ。」
      「貴様、どうしてそれを・・・」
      「こっちは客商売だ。会話の端々から状況を読み取る。その子はずっと帰りたがっていたじゃないか?いい加減諦めてその子を置いて帰れ。」
      「貴様・・・」
      「ほら早く。警察を呼ぶ?それとも?」
      携帯電話を見せびらかして、ボタンを押そうとする。
      男は舌をならし、何か呟くと宗聖を睨みつけてその場を離れた。
      支えを失った葵はそのまま地面に座り込んでしまった。

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