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1、キノの旅 ...
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《キノの旅》
原作:時雨沢恵一
世界は美しくなんかない。そしてそれ故に、美しい
―The world is not beautiful. Therefore,it is.―
プロローグ 「森の中で」
―Lost in the Forest―
そして暗闇《くらやみ》が生まれた。
まったく光のない。
月も星も見えない。
緩やかな風で森がざわめく音だけが、闇を飾るように聞こえてくる。
「そうだなあ……。なんとなく、だけれどね……」
ふいに人間の話す声が聞こえた。少年のような、そして少し高い声だ。
「なんとなく、だけれど?」
別の声が発言を促すように聞いた。さらに若い感じのする、男の子のような声だった。
ほんの少し静寂《せいじゃく》があって、最初に聞こえた声が静かに語り出した。まるで自分に言い聞かすような、誰《だれ》もいないところへ向かって喋《しゃべ》るような口調だった。
「ボクはね、たまに自分がどうしようもない、愚《おろ》かで矮小《わいしょう》な奴《やつ》ではないか? ものすごく汚い人間ではないか? なぜだかよく分からないけど、そう感じる時があるんだ。そうとしか思えない時があるんだ……。でもそんな時は必ず、それ以外のもの、たとえぱ世界とか、他《ほか》の人間の生き方とかが、全《すべ》て美しく、すてきなもののように感じるんだ。とても、愛《いと》しく思えるんだよ……。ボクは、それらをもっともっと知りたくて、そのために旅をしているような気がする」
それからほんの少しだけ間をおいて、こう続けた。
「辛いことや悲しいことは、ボクが旅をしている以上必ず、行く先々にたくさん転がっているものだと思ってる」
「ふーん」
「だからといって、旅を止《や》めようとは思わない。それをしてるのは楽しいし、たとえぱ人を殺《あや》める必要があっても、それを続けたいと思えるしね。それに」
「それに?」
「止めるのは、いつだってできる。だから、続けようと思う」
最初の声は、きっぱり言った。そして訊《たず》ねた。
「納得したかい?」
「正直言って、よく分からないや」
別の声が答えた。
「それでもいいと思うよ」
「そう?」
「ボク自身も、ひょっとしたらよく分かってないのかもしれない。迷ってるのかもしれない。そしてそれをもっと分かるために、旅を続けてるのかもしれない」
「ふーん」
「さてと。ボクは寝るよ。明日《あす》はまただいぶ走らなくちゃ。……おやすみエルメス」
「おやすみ、キノ」
暗闇《くらやみ》に、がさごそと厚い布が擦《こす》れ合う音が聞こえ、やがて止んだ。